「自分たちの青春に決着をつけよう」と言われたような気がした
――池松さんは、松居監督とは長いお付き合いで、監督の変化を身近で感じられてきたかと思いますが、池松さんの視点から今回どんな変化を感じましたか?また、池松さんが今作で新しく挑戦されたことを教えてください。
池松さん 松居さんは自分のやる気スイッチといいますかツボを押してくださる方です。今回に関してはすごく個人的なことですが、コロナ禍でステイホームを強いられ、リモート映画など、業界内の多くの人が可能性を探っている中、どうしても国内で自分の気持ちがフィットすることが見つけられず、どちらかというとコロナ禍の中で今だからこそと海外に目が向いていて、外に出て活動していたのですが、去年の夏たまたまロシア映画の撮影が3カ月延期になったところ、松居さんから連絡をいただいて。その時に感じたのは、僕は今31歳なんですが、2010年代を共にした自分たちが新しい何かを、面白いミニシアターを作っていくんだと躍起になっていたあの頃、つまり、青春に決着をつけようと言われたような気がして。また新しいチャレンジをしながら2010年を総括しようと言われたような気がしました。
ジム・ジャームッシュ監督は去年、一昨年と名古屋でも東京でも特集が組まれていて、そこにタイムリーじゃない若い人たちがコロナ禍に足を運んでいて、やはり面白い映画を人は求めている。ミニシアターの危機だと言いつつ、ミニシアターの議論はコロナによって始まったものではありません。守れなかったのも自分たちのせいだと思うんです。映画を人が求めなかったのではなく、映画が求める人から離れていったような感覚がどうしてもあります。ジム・ジャームッシュ監督が作ったミニシアターブームを『ナイト・オン・ザ・プラネット』公開からちょうど30年後にもう一度、DNAを受け継ぎながら、何ができるか、そういうミッションだったように思います。
日常に戻っていく過程も含めて丁寧に描く
――松居監督が映画の撮影の中に意識されていたこと、決めていたことは?
松居監督 ラブストーリーではありますが、物語としてピークで終わらないようにすることを大事に思っていました。例えば、水族館デートがあるとしたら、踊ったら次のシーンにいくべきで、ドラマチックなところで連なっていったほうが気持ちいいし、そうしたくなるんですけど、でも日常で思い出すことって、派手な出来事よりもわりと些細なことのほうが多いような気がします。水族館で踊るけど警備員に見つかって逃げ回るとか、ちょっと車の中で喧嘩して、喧嘩で終わってもいいんだけど、喧嘩した後にもやもやしながら駅に行ってぼんやり座るとか、日常に戻っていく過程も含めて丁寧にやろうと思っていました。
この作品で自分が伝えたいことは、映画に出てくる全員を愛せるようにしたいとも思ったし、最後に流れる曲が素敵に聴こえるようにしたいとも思っていました。周りのアドバイスももちろん聞いていましたし、とにかくこの6年間のとある1日しか出てこない中で、この1日に出てくる全てが愛せるものだといいなと。例えば、家の近くに地蔵があるよな…とか、床屋の人なんだかうるさかったけどいたよな…とか、出てくる人全員が主人公になってほしくて、2人の主人公を見せるために他を抑えたくなるんですが、むしろ逆でみんなを魅力的にしたいなと思って意識していました。
役に向かっていくというよりも、台本や役を自分に近づけていく作業
――脚本なのか現場で生まれたものなのか、とても自然な空気感でした。現場ではどうやって作られていたのでしょうか?
池松さん 一つひとつ覚えているわけではないんですが、これは出会った10年前からそうですし、松居さんの劇団を見ていただければわかるんですが、役が育っていくこと、場が育っていくこと、人と人がカメラの前に立った時に起こるものを信じてくれています。みんなアドリブというとまるで俳優の手柄の様なハプニングエピソードが大好きですが、決して俳優だけの手柄ではなく、その場で起こること、リアクションの先にあるト書きにないもの、机上のイマジネーションから、現場に人が立ち、実際の生身の心が動いたところで起こるごく自然なイマジネーション。そういったものも松居さんがすくいとってくれたなと思います。
松居監督 セリフ的には結構台本通りにやっています。リアクションや隙間をみんなが埋めてくれていて、その前に池松さんや伊藤さんともみっちり話したし、尾崎くんやプロデューサーともいろんな人とやりとりして、役に向かっていくというよりも台本だったり役だったりを自分に近づけていく作業を丁寧にした気がします。
――物腰柔らかくて、何でも優しく聞いてくれる照生の役は、どこから生まれたのでしょうか?
松居監督 一番ポイントになったのは、タクシードライバーの葉。葉はあまり動けないので言葉で表現、一方で照生は、言葉ではないところの身体で表現しているダンサー、照らされるダンサーが光を照らしていく人になっていく、光を照らす一方でセリフを必要としないほうがいいなと思ったので、言葉でいっぱい伝えるような人じゃない照生という人間像がなんとなくイメージできていました。でも最初から池松くんにお願いしたいなと思っていたので、そこに向かって書いていたりもしつつ、台本というよりもお芝居で照生を池松くんが生きている人物にしてくれた気がしますね。
――照生の話し方が甘くて優しい感じが心地良いなと思いましたが、池松さんは話し方など意識されていましたか?
池松さん 父親と弟と僕の話し方がまるで一緒なんですよ。だからたぶん血です(笑)。真面目に答えると、声を変えるという意識は一度もやったことがありませんが、役を心で育てていく中で声質や話し方が意図的ではなく感覚的に変わってくることは往々にして起こると思っています。あと、松居映画で主人公が不器用であるということは鉄則なので、10年前、20代でやっていたこととはまた違う不器用さ、目の前の処理能力は高いけれど、全部持ち帰ってしまうような柔らかさと繊細さはキャラクターに備えていたいと考えていました。
――池松さんと伊藤さんの2人の掛け合いや雰囲気がとでも素敵でした。伊藤さんとのシーンで印象的だったシーンやエピソードは?
池松さん 松居さんが伊藤さんの声がとてもお好きなんですね。僕も特殊な素敵な声だなと思っていましたし、クリープハイプの尾崎世界観さんも変な声の持ち主で、松居さんも特殊な声の持ち主で、僕もだいぶ変な声で。タクシーの中のシーンで伊藤さんに「私のどこが好きなの?」と聞かれて、キスされながらそれに答えていくというところがあるんですが、松居さんからもらった「その声も好きだし」というセリフを本番だけ「その変な声も好きだし」って言ってみたんですよ。そしたら、カットがかかった後に伊藤さんから怒られましたね(笑)。「変て何ですか!」って(笑)。
――出てくる小道具にもすごくこだわりを感じました。その中で“バレッタ”は、女の子の忘れものとしてあるのかと思いきや、そうじゃなかったというところがすごく印象的でした。脚本から書かれていたんですか?
松居監督 元々男女が逆で、男がタクシードライバーで、女がダンサーから照明スタッフになるように書いていたんですが、池松くんと伊藤さんが決まりそうになった時に、池松くんがダンサーから照明スタッフに、伊藤さんがタクシードライバーになったほうがぐっとくるなと思って役を変えました。その時に、バレッタの代わりに男性ものの何かにしたら何かがなくなってしまうような気がして、そのままにした前の設定の余韻です。男女の概念から解き放ちたかったのもあって、そこに対しての自由さみたいな。男だからとかじゃなくて、そういうものもあるよなって思った時に、照生が葉からもらって大切にしてて、別れたけど捨てづらかったもののほうがこの2人っぽいなと思って、べっ甲のバレッタにしようと思いました。
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ミッドランドスクエアシネマ15周年特別企画『ちょっと思い出しただけ』舞台挨拶付き特別試写会に、松居大悟監督が登壇!
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