今回の展示会では、初公開の作品や資料もいくつかあるみたいですね。
展示会のハイライトは、やっぱり名古屋ならではなんですけれど、「ジブリパーク」とジブリの新作である『アーヤと魔女』の2つですよね。『アーヤと魔女』については、作品放映の発表はしたけれど、今回展示しているような人形を出したのは初めてです。
「ジブリパーク」は、やっぱり模型ですね。あれも、初公開。今まで見せたことがないんです。模型も倉庫に置いてあったみたいなので、それをもとに作ったんです。「ジブリパーク」に関しては、今はまだ説明はない方がいいと思いますね。具体的に分かると、みんなの楽しみがなくなっちゃうだろうから。
名古屋出身の鈴木さんですが、幼少期はどのようにお過ごしでしたか?
昭和区の元宮町に生まれました。幼稚園に通っている途中で、赤萩、今でいう車道に引っ越します。その後、東大曽根、黒川と移り住んでいきました。子どもの時に1番遊んだ場所は、「徳川園」です。過去のインタビュー記事で、昔はよく「徳川園」で遊んでいたというのも拝見しました。
毎日のように、あそこで遊んでいましたね。学校帰りに寄って、夜暗くなるまで遊んで、家に帰るが習慣でした。「徳川園」では、どのように過ごされていたのですか?
刀を作るのが得意で、その刀を持って、集団で戦っていました。いろいろな事情があるんですけど、当時は木を折って、小刀で削って、刀にしていました。でも僕は、考えたんですよ。親父がタバコを吸っていて、タバコって、銀色の紙でできているでしょう。その銀紙を木に貼るんです。その後、鍔をつけて、段ボールの丸い芯をペタペタと貼って、黒く塗ると鞘になって刀が完成します。出来た刀を仲間みんなにも配ります。あとは、手裏剣や弓まで持って、相手を退治するんです。そうすると、勝つんですよね。だって向こうはね、ナイフで切った刀だけでしょ? こっちは刀抜いたら、銀色なんだもん(笑)。それで怖気着くんです。
夕方になれば、「徳川園」の中に生えている、いろいろな木の上の方に登ると自分たちのアジトがある場所へ、武器をしまいに行きましたね。僕を育んでくれたのは、「徳川園」です。毎日遊んでいたね。僕たちの時代は、そういうものでした。
当時のことを鮮明に覚えていらっしゃるんですね。
だって、楽しかったですからね。子どものときは、そういうのが好きでした。やはり作品などにも影響しているのでしょうか?
幼いころ、チャンバラの映画を観に行ったとき、刀と刀が合うその音に興味を惹いたんです。ある映画を観に行ったら、本当にいい音で、子どもながら「どうしたらあの音が出るんだろう」と考えました。刀と刀だから、例えばスプーンを2つ単純に“カンカンカン”と合わせても音は出るんだけど、これじゃ雰囲気が出ない。最初の音だけ聞いてくださいね。“カキーン”(2つのスプーンを投げ合わせた時の音)。最初の音、分かりました? これが刀と刀が合った音なんです。『もののけ姫』で、エボシ御前ともののけ姫が戦うシーン。その音付けは、僕が担当しました。宮崎駿が「鈴木さん、勝手にやっていいから」って(笑)。