舞台挨拶で「白石組があったらまた出たい」ということでしたが、どのあたりに魅力を感じたんでしょうか?
香取さん 僕は、自分でも絵をかいたり、コンサートの演出をしたり、自分が写る方じゃない感覚で現場にいたりするんです。監督は長だと思ってるので、監督の指示で動かかなきゃいけないんですけど、その中で気になるところが結構あって。それを白石監督は、僕がちょっと思った瞬間に、僕の心が読まれてるかのように言葉を発信していて。例えば、エキストラの方がいっぱいいる中で、一番奥にいる人なんだけど、その人の動きがちょっと気になっちゃうなと思ってたら、リハが終わって本番、用意スタートの瞬間に「ちょっと待ったー」て監督が言って、僕を通り過ぎて、たくさんのエキストラの中でその人の所で「ちょっと動きが大きくて、目立っちゃうからもうちょっと自然に動いてください」とか言ってる姿を見ると、心が読まれてるのかと…。そういうシーンがいっぱいありました。それぞれ考え方の違いとかあるから、気になっちゃう監督もいるんですけど、白石監督は僕が気になるところが全て一緒で完璧だったから、好きな監督になりました。
この数年で環境も変わったと思うのですが、香取さんの中でこの凪待ちに出会ったことで、何か心境の変化や発見したことがあるとしたら何でしょうか?
香取さん この数年での環境の変化も、この映画の役に投影されていると思います。きっと、新しく始めていこうと思ってから、本当に先が見えない中スタートしてから、今一年半くらい経ってるんですけど、絵を描いて個展ができたり、洋服屋さんやってみたり、新しい事がたくさんできていて。今日もこんなにたくさんの方が集まってくれている状況と比べたら、この作品を撮っていた去年の6月くらいの時は、まだまだ今と比べると先の見えなさはいっぱいあったので、今、もしこの作品を撮っていたとしたら、また違う表情だったかもしれないです。いろんな活動されてますが、これをやったことが自分にとってプラスだったなと思うことはありますか?
香取さん すごく恵まれていると思ってます。この撮影のタイミングで白石監督とご一緒できて、他の監督だった場合は分からないけど、白石監督だったからこそ、撮影しながら「これは大丈夫だ」って思えました。でも、実際の状況としては、先が見えない時だからこそ、この表情を投影できたのかなと。去年の6月だったら、今話すのもこの感じじゃないかもしれないし、全てが恵まれているなと思います。©2018「凪待ち」FILM PARTNERS
撮影場所が、宮城県石巻なんですけど、東日本大震災の支援もされている香取さんだからこそ、今回撮影で訪れて思いが強くなったりしましたか?
香取さん 最初、この映画のストーリーが被災地・石巻を舞台にと聞いた時に、率直に「それってそれでいいのかな」「エンターテインメントとして、石巻に入っていいいものなのか」と思ったこともありました。実際、石巻で数日過ごしてみたら、僕がお会いした方々は、「映画の撮影で石巻にきた」と話すと、喜んでくれて「この街を選んで、今の石巻を映画に残してくれてありがとうね」という言葉をいっぱい聞けました。震災のことって忘れてはいけないって思うし、僕も言うけど、実際、ニュースだったり、記事で読む時間ってどんどん減っていって、自分も離れた東京で暮らしていて、震災当時の事を考える時間は減ってると思うんですよ。でもやっぱり忘れちゃいけない事として、今こうやって震災の事を話せるきっかけになって、映画の中に石巻の街が残っているということもよかったなと思いました。